黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

浪花ソウルを語った夜

1970年代は日本のロックにとって激動の時代だった。1960年代後半GSが一大旋風を巻き起こしたが、その多くは結局歌謡曲に流されてしまった。しかしロックへの熱い魂を秘めた人たちが70年になって火を噴くのである。1970年4月上京した。下宿の大家に挨拶や片付けもそこそこにして日比谷野外音楽堂に向かい、内田裕也さんが仕切るコンサートを観た。たしか450円か500円だった。そのコンサートは午後1時から午後9時まで10数バンド出演していた。もちろんPAはまだなない。初めてマーシャルのアンプを見た。ブルースクリエーションとかツーマッチが出ていた。どれも初めて観るバンドばかりで何もわからなかったが、客席で心から自由だ!と思った。この1年間で観れて幸いだったと今でも思うのが村八分であった。日比谷の野音で強烈な印象を残した。そのレポを当時浪人やっていた友人達に詳細に送った。きっと励みになったと思う(ホンマかいな)。72年になって関西からブルースバンドがやってきた。ウエストロードブルースバンドである。僕が知ったのは少し後になるが上田正樹とサウスツーサウスがやってきた時にはぶっ飛んだね。これや!これや!これやがな。この2バンドが与えた影響は大きかったね。毎日頭の中オーティスラッシュとサムクックでいっぱいだった。(たぶん、つづく)