黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

ウッドストックへの道 マイケル・ラング著小学館刊

1969年8月ニューヨーク州ベゼルで大規模なロックコンサートが開催された。いわゆるウッドストック・フェスティバルである。

開催されたのは僕が高校一年生の時で、概略が届いたのは一年後であった。43年前の情報の伝わり方はそんなものだった。ニューミュージックマガジン誌(今のミュージックマガジン誌)のウッドストック特集を何度も読み返し、ギタリストの成毛滋が体験記を投稿していてスゲーとおもったものだ。さらに一年後ドキュメンタリ映画「ウッドストック」が岡山でも上映され驚喜した。同時上映が「レット・イット・ビー」というもったいない組み合わせだった。僕たちは朝から2回ずつ観て、二回目スライ&ファミリーストーンの時には立ち上がって「ハイヤー!」と叫んでおったわ。動くミュージシャンを観たのははじめただったし、アメリカの空気感にすごく居心地のいいものを感じてた。名前しか聞いたことがなかったザ・フーサンタナ、その頃ヒット曲のあったジェファーソン・エアプレンのかっこよさには感動した。そしてなんと言ってもジミヘンである。左利きで何とも奇妙な弾き方に見えた。
その後永い間映画とサントラ盤でしかウッドストックの様子を知ることは出来ず、1980年代になってディレターズカット盤がビデオになった。特にCBS系のジャニスとBS&Tの映像はいまだに非公開のままである(ジャニスは一曲だけ公開された)。ありがたいことにジミヘンは演奏順にほぼ全曲がDVDになっている。もっとも当時の様子から必ずしも公開できる内容ではなかったバンドも多いのでしかたないかな。
この本ではマイケル・ラングがウッドストックの前に関わったマイアミ・ポップ・フェスティバルにも言及している。これはあまり語られてないフェスなのでありがたかった。ザッパのアンクルミートのライブ部分がこのコンサートで録音されたのもわかった。
会場が決まるまでのいきさつ、二転三転して実際にはウッドストックから何十キロも離れたベゼルに決まるまで(ヤスガースさんはやっぱりいい人だった)と8月15日から18日ジミヘンの登場までは、バックヤードを含めて詳しく書かれている。多くの関係者、出演者の発言がまとめられておりリアリティーに富んでいる。デッドは機材が重すぎてステージが傾き配線がうまくいかずガルシアは感電しそうになりながら最低の演奏した。「いやはや、僕らはひどい演奏をした」。冷えた客席は次に出たクリーデンス・クリアーウォータ・リバイバルがパワフルな「スージーQ」で最高潮に持ち直したらしい。ちなみにデッドは、期間中会場のあっちコッチで小さなライブを開いてすばらしいパーフォーマンスをした。残念ながらCCRの音源も未発表である。スライの演奏中ジャニスとグレース・スリックが「ハイヤー!」って一緒に踊っていたなんてほほえましいエピソードも満載だ。