黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

飛竜伝


赤木製麺工場が株式会社飛竜に社名変更したのは昭和42年春である。「飛竜」は昭和30年生麺にスープを添付し一玉づつ袋詰めにした包装麺を考案したときのブランド名である。インスタントラーメンが日清から発売されたのが昭和33年であるから画期的なアイデアだったといえる。乾燥インスタント麺は必ずブームになると読んで開発研究を手がけてみたものの「小企業が扱える商品ではない」と断念。そして前述の生袋麺に主流を置くのである。生ラーメン「飛竜」の名は当時使っていた日清製粉の粉が「飛竜」という銘柄で、その名に魅せられた創業者が日清の許可を得て採用した。昭和42年新工場を完成させ製造能力は日産2万7千食にのぼったという。うち半分が生ラーメンである。そして乾麺の主流は和そば(そーめんを含む)だったが中華麺も一製品販売されていた。添付のスープは化学調味料を使わずとの記述があるが、昭和40年代の初め昭和元禄といわれた時代に果たして本当かという気はする。
昭和46年変動相場制への変更により不況の暗雲に包まれた。飛竜もそのあおりをうけ資金繰りに困ったがアイデアマンの創業者は現在の旧二号線沿いに直営店「飛竜めん類コーナー」を開店し宣伝を兼ねて実益を得る手法で乗り切ったのである。昭和46年(おそらく夏)から48年ごろまであったこの店をご存じの方はレポお願いします。