黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

主人公は僕だった@シネマクレール


たしか1970年ananが創刊されそのお洒落さに僕たちも飛び着いた。なかでも秋川リサのボーイシュさと聡明さにしばらくの間イカレていた。ラジオ番組「秋川リサのサムシングエルス」は舌足らずなしゃべり方で時代を切り取っていたように思う。そんな雰囲気をマギー・ギンレイホールは持っている。彼女は堅物の主人公が「死ぬ運命にある」こととは無関係に彼を愛するのだが、敵対する間柄から一気に恋愛関係に主人公はその過程を喜劇と悲劇に分類してチェックこの実直さが面白い。 彼がルーチンで行動しているときにはアイモニターで進捗状況が表示される。あたかも腕時計がコントロールしているみたいに。物語の主たる進行はダスティン・ホフマンエマ・トンプソンのパートが握っている。ただ主人公ウィル・フェレルを愛すべき堅物にさせているのはマギー・ギンレイホールである。この2軸が交差することはない点では珍しい映画といえる。監督はビートルズが好きなのか青い林檎、タックスマン、助手の名前がペニーなど関連をにおわせる。ほのぼのとおもしろい。