黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

備前岡山京橋朝市2月1日

鶏ガラ煮干し醤油ラーメン 称「富子」

午前2時、出発を待つ機材。トラックが来ず事故ではないかと気をもむ。完璧に準備したつもりでもヒューマンエラーは起こる。

仕込み中。遅れた時間を取り戻すべく必死で準備。ハイカロリーコンロがありがたかった。炊きあがりがものすごく早い。

そんなジタバタの中で午前6時前からお客様が集まりはじめ、いつもより早く行列ができた。焦ったが、そこは試作を重ねただけあってなんの迷いもなく完成。若干お待たせしたもののほぼ定刻に販売開始。麺茹でに新しく自作した道具を使ったので前回のように途中で時間を取ることもなく順調に進行。まぁ、順調すぎて8時10分にタレがなくなり販売終了。タレは計算上たりる量作ったつもりだったが、やはり微妙なロスがあるのだろう約8杯分たらなかった。毎回並んで下さるお客様に感謝。(ラーメン写真:国士無双さん提供)


ついにお目にかかれた富子様。ossyanに抱っこされてご満悦の様子。大勢に囲まれても物怖しないしっかりした0歳児じゃった。昨年11月新幹線の座席に立ち窓の外を眺めている後姿の写真に感動を覚えた。京橋朝市のコンセプトは「朝から食べられるラーメン」である。ただ僕は朝だからあっさりにこだわりすぎていたようだ。小さくとも凛々しく多くの可能性を秘めたものでなくてはならんと富子様の後ろ姿に教えられたような気がした。そして「あっさり」を脱する方向性、あくまでも口当たりは優しく濃厚さを感じさせないラーメンを模索した。前回のは充分コッテリなオイル量と塩分であったにもかかわらずだれも「こってり」とは言わなかった。このラーメンには秘めた力を持っていると感じた。工夫次第でどのような姿にもなる可能性を持っている。まさに不屈の0歳児のような可能性である。