黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

いただきもの

佐藤錦山形県

赤い宝石といわれる佐藤錦大正元年から品種改良に16年間を要したという。まさに大正時代を丸ごと開発にあてたわけだ。もっとも季節感がある果実だね。出回る期間が短いのが希少価値をさらに高めている。

仄かな酸味に濃縮された甘み。一粒一粒を愛おしむようにいただく。
東京で勤務していた頃山形出身の先輩が社内にお土産をくれた。当時僕はケーキにのっている赤くて不味い物だと思っていたから、先輩に礼を言うためにだけ内心舌打ちをしながら封を切ってみて息を飲んだ。艶々に輝く赤い粒の整列が目に飛び込んできたのだ。指で触るのさえためらわれるようだった。ひとつむまむと上品で洗練されたあまさが口いっぱいに拡がった。これが自然の物とはおもえないくらいおいしかった。この頃は大量消費時代で天然自然の物より人工のほうがありがたかった。一個一個に差があり不揃いで当たりはずれのある自然の物より人工の物は均一でどれも同じ品質という重宝さである。そんな時に出会ったサクランボは僕の価値観を変えるほどの力を持っていた。具体的には化学調味料の虜だった自分を無化調派に変えた。サクランボと化調は直接の繋がりはないが、僕の中では「風が吹くと桶屋が〜〜」的な連鎖があったんだな。