黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

ライブ アット あたらし屋


1970年代初め頃岡大に進学した日室雅雄は、受験を控えた黒瀬尚彦の家庭教師になった。勉強は二の次でギターの練習の方が多かったようだ。上京した僕らは休みごとに新着のレコードを持ち帰って皆に聴かせていた。当時は東京と岡山でも販売に時差があったのだ。輸入盤が日本盤になるまで半年以上かかったし、輸入盤が岡山で手に入ることもなかった。
そのころ流行っていたのが「フリー」である。東京のバンドでもポール・ロジャーズのマイクアクションを真似するボーカリストが多かった。矢沢永吉もその影響を受けたひとりだろう。

1973年くらいのお正月。