黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち

監督は若松孝二。音楽は板橋文夫。主演はARATAあらため井浦 新。
三島の美意識にあわせてか、若松監督にしては映像がすごくキレイ。三島をはじめ盾の会隊員のしわひとつない服装とキリッとした行動が描かれる。三島の言動は当時新聞などで取り上げられていたし彼自身も月刊誌週刊誌に対談や投稿をしていた。30人ほどの隊員と日本刀だけでクーデターを起こそうとしたのは、当時高校生だった僕にも無謀にしか写らなかった。でも切腹したからカッコだけでなく本気だったんだと思うよりほかなかった。作家活動から自決に至る一連の行動は、僕には解できないが、1970年は「文人としてではなく武人として死にたたい」という三島の言葉が通用したギリギリ最後の時期だったと思う。同じ年6月安保も10月国際反戦デイも不発に終わり、治安活動で熱望した自衛隊の出動はなかった。そして11月自市ヶ谷駐屯地で檄文を撒き自決するのである。
翌年から大学立法によって学生運動は弱体化され72年連合赤軍事件によってほぼとどめを刺されたといっていい。その後はバブルへ一直線。そんな世になってからでは、情熱と精神力を武器に自己の美学を極限まで貫けたか疑問だ。
映画の中で気になったのは、関の孫六という天下の名刀を三島は応接間に飾っていて折あるごとに手に取るの(もちろん大事なシーンである)だが、その刀掛け(刀を置く台)がどうみても皿立(L字型を組み合わせた木製のもの)である。これは三島の美学からしてもどうなん。若松監督のちょっとしたいたずら心?