黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

お墓参り@故須藤くん

お墓参り@故須藤くん
 2012年7月18日還暦を前にガンのため逝ってしまった友人のお墓参り。

 8年経った今でも、何かあると彼はどう対処するかなぁ、と考えてしまう。僕らは1980年代sonyのマイコン「SMC-777」を買って悦に入っていた。これは3.5インチのフロッピィディスクを内蔵した最新のモデルで、ビジネスよりホビーにより力を入れた製品だった。もちろんインターネットなど無い時代で、プリンターも一台20万円位したから、中古が出回るまでは手が出なかったなぁ。で、そんな箱だけみたいなマイコン(マイコンピューターの略、パソコンという言葉になるのはしばらく後)で何をしたかというと実用性はなかったね。小遣い帳程度の計算機能と丸三角四角がかけるペイント機能しかなかったけど、一日中いじっていたわ。彼と電話片手に「CTL-Cを押してみ」「で?それが?」「CTL-Vを押してみ」「おぉ!」とか「RS232Cケーブルがすごいんじゃ」みたいな電話を延々していたな。僕はロックレコードのリストを作ってみた。手元のレコードを片っ端からバンド名・アルバムタイトル・曲名を入力して、たとえば「ビートルズ」とソートかけると一覧が出来た。 中古のプリンターがで出回りはじめ型落ちが安く手に入った。町内会の役員を仰せつかった頃で、総会の報告をその日のうちに書き上げて翌日全戸に配布した。いつもなら何週間もかかった手書きのコピーだったので皆びっくりしてたな。これらはコンピューターの将来性を垣間見た瞬間だったね。わからないことはすべて須藤くんが解決してくれた。フリーズすると夜でも飛んできてくれた。おかげで、少しだけ世間より先に行っていた。
 ウィンドウズ95になっても彼にはお世話になりっぱなしだった。面倒見がいいのでつい甘えてしまっていた。あるとき電話でお気楽に質問したら「なのなぁ、パソコンの前にどれだけ本並べて答えてるかわかる?辞典とマニュアルと専門誌やら・・・」相当な努力家でもあった。時には(滅多になかったが)僕の方が情報先行していて彼は言葉に窮したときもある。が、次の日それ以上の情報を披露するためにだけ電話してきた。負けず嫌いだったわ。
 そんなこんなで、高校3年生の頃からのつきあいで上京したのも同じだったから45年間くらいかなぁ。学生時代彼は旅をしたりいろいろだったので、再会したのは1980年ぼくが岡山に帰ってからだね、新日本プロレス、ラジコンカー、ロックミュージックなど共通の話題が多かったわ。どれも彼の方がオタク度が強くなにかと教えてもらったな。
 いまでもスドウ・ロスなんだわ。