黒爺のハーフボイルドな71年

黒爺の食い散らかしの恥 書き捨て

RSKラジオ「ニュースここだけの話」

RSKラジオ「ニュースの時間~ここだけの話~」
10月20日18時15分~29分

 「岡山香川ラーメン見聞録」の著者でRSKラジオのディレクター石原Dからお誘いを受けた。
見聞録発売から20年になるので、その後の変化について箇条書きでメールがあった。
・つけ麺、二郎系、家系、まぜそば等県外からの流入
・老舗の頑張り
・最近の洗練系(石原Dの造語)について
・麺へのこだわり
・後継者
僕なりの岡山のラーメンの変化の感想は、
・過去の大きな転機
 一つには新幹線の開通(1972年昭和47年)があります。これによって駅前の屋台が店舗化しました。あまいからい、丸天(閉店)百万両(連島)などです。
もう一つは天神そば(1970昭和45年)の出現です。終戦後豚骨メインだった岡山の中華そばが天神とそれに倣うインスパイア・リスペクト店によって鶏ガラにシフト していきました。その頃産まれた人はすでに50歳をこえています。豚骨メインだった時代を知っている人は少数派になりました。
・県外チェーンの進出
 戦後岡山の地元系のラーメンが定着していたが、最近では県外のラーメンが流入・定着してきました。しかし岡山は、かつて(昭和の終わり頃まで 1989)県外のチェーン店を受け入れなかったんですね。どれも短命でした。それが変化したのは一風堂の進出です(2006)。その前に餐休、龍やなどの県内のチェーン展開(90年代)があったことが下地になったと思われます。
・つけ麺等県外からの流入
 岡山では2010年頃になってつけ麺が認知されはじめました。それは太麺の認知に他なりません。それに伴い家系、二郎系、まぜそばの店が多くなってきました。
・洗練系と自家製麺
 調理に工夫を凝らし洗練されたラーメンも登場しはじめました。淡麗系ラーメン、濃厚白湯系、煮干し系、進化系味噌ラーメンなど地元系ではないラーメンが若い人たちによって産み出されています。具材にも手が込んできて低温調理のポークやチキン、大きなメンマ、彩りの野菜を使って見た目も華やかになってきました。
 自家製麺の店が多くなってきました。一種類の麺だけではなくメニュウに併せて番手を変えるとか手が込んできてます。
・後継者
今後の展開
 新店が増え競争の激しくなる中、地場系の味はやはり魅力がある。 もっとも岡山の中華そばの源流である、豚骨スープの醤油味、細麺ストレートは、今流行の二郎系家系ラーメンの対極にあるものなので、この需要はなくならないです。
 笠岡ラーメンのように商標登録して存在感と価値観をあげる工夫も大事ですね。
岡山のラーメンは不滅ですw 若い店主さんたちは、麺やチャーシューを交換し合ってコラボしたり、手伝いに行ったりと横のつながりもできています。
多種多様な岡山のラーメン文化がさらに面白く楽しく発展してゆくのを期待しています。